ペーパーテストで四択問題があったとしたら、四つの選択肢の中に必ず正解がある。
だが、日々の生活では複数の選択肢が存在していても、どれかに必ず正解があるわけではない。正解がないにもかかわらず、きっと正解があるに違いないと思い込み、その正解をなんとか探し出そうとする。
ある人は他人の意見を聴き、ある人は本を読む。
そして正解らしきものに飛びつき、それに安心するのだ。
例えば、株式投資ではオルカン一択が正解だと思われ、誰もかれもが殺到している。
だが本当にそうか?
正解を見つけたと思っても、それが正解である保証はない。
そもそも唯一の正解などないのだ。
そのとき正解だと思っても、後からそうではないと感じたり、あるいは間違ったと思ってもそれがいい結果となるかもしれない。そんなことは四六時中あることだ。
正解がないのなら、正解を探す行為そのものが無意味なのだ。
それでもどこかで正解を探してしまう癖がある。そして正解を見つけたと思った瞬間から思考が停止する。間違っているかもしれないという可能性を排除してしまい、視野が狭くなる。
正解を見つけることより、むしろ言葉の定義をはっきりさせることのほうが重要なのではないか。
例えば、「投資」といっても人によってはそれが「投機」のようなものだったりする。自分にとっての「投資」とはどんなことなのか、自分で定義づけすることによって明確になる。
では、「資産」とは何か。「成長」とは何か。「幸福」とは何か。
自分で定義づけしてみればいい。別に辞書と同じである必要はないのだ。自分で言葉を定義しようとすると思考が整理される。そこから自分なりの解釈にたどり着く。
むろんこれも正解とは限らない。だが自分の思考の軸ができる。
こんなことをするのはタイパもコスパも悪いだろうけど、世間に流されるままよりははるかにましだと思っている。