今日から新年度が始まった。
それに合わせて何か新しいことを始めようとする人も多いはずだ。その始めることの一つとして投資がある。
新NISAも始まって、投資に対する関心はかなり高くなっている。情報もたくさん出回っていて、投資詐欺なども増えているようだ。
投資というとどうしてもノウハウの話となってしまうことが多い。
どの証券会社に口座を開くか。
何に投資するべきか。
いくら投資するべきか。
どのタイミングで投資すべきか。
たしかにそういったことを知りたくなる心理はわかるけれど、そんなことで本当にいいのだろうか。そういう情報を集めて、結局はみんながやっているから良さそうだという判断で済ましてしまう。そして失敗したときは他者のせいにして、また別のノウハウを探しに行く。
投資で株を買うとして、「そもそも株とは何か」をどれほど理解しているのだろう。
そういった根本的なこと、本質的なことが曖昧なままノウハウばかりが広まっている気がしてならない。
世の中はどんな仕組みで動いているのか。
そもそも株式会社とは何か。
株とは何か。
投資とはどういうことなのか。自分だけでなく世の中に何か影響を与えるものなのか。
世の中に影響を与えるものならば、どうかかわるべきなのか。
以前、「投資」というものが「投資商品の消費」になっているのではないか、と書いた。
投資と消費は厳密には違う行動のはずだが、投資が消費のように変質してきている気がする。むろん、投資のハードルを下げて誰もが参加できるようにすることは大事だが、かといって投資が単なる投資商品の消費になっていいとは思わない。
消費はその場限りだが、投資は将来への種蒔きだ。
そして消費は自分事でしかないが、投資は他者とのかかわりだ。
だが、投資が将来への種蒔きであるという意識もなく、自分の利益しか眼中にない自分事となりつつある。だから「投資商品の消費」なのだ。
投資に限らず、これからは本質を追求する思考が重要となる時代ではないかと思っている。手っ取り早くノウハウを身に着けて対応しようとしてもすぐに役に立たなくなるのではないか。ノウハウに頼るのではなく、自分なりの答えを見つけて実践してみたほうがいい。
最近、ビジネス書でもノウハウ的なものはほとんど読まなくなり、哲学的なものを読むことが増えているのもそのためだ。