今日も相場を眺めながら、ふと思う。
市場とは、世界を映す鏡であるとともに、自分を映す鏡でもあるのではないか。
値動きそのものには善悪も意味もない。
そこに意味を求め、理由を探し、感情を動かしているのはいつも自分の側だ。
人々は「確実」を欲しがるが、それは市場が決して提供できないものだ。
投資とは、不確実性の海の中で、自分の理解できる波を拾っていく作業なのだろう。
利益は嬉しいが、しばしば人を傲慢にする。
損失は苦しいが、人を正直にする。
利益は”答え”を与え、
損失は”問い”を与える。
そして本当の成長は、いつも”問い”の側にある。
損失に直面したとき、
「今の自分は何を前提にして世界を見ているのか」
という静かな問いを生む。
実は相場の損益よりも、こうした”問い”の方が長い目で見れば価値があるのかもしれない。
私たちは相場を見ているようで、実のところ自分の価値観、期待、恐れを見ている。
だからこそ市場と向き合うことは、自分自身と向き合うことでもある。
相変わらず今日も相場は動いている。
そして自分の内側では世界の見え方がわずかに変化していく。