投資狂日記

自由を追求するブログ

考える訓練としての投資

投資というのはどうなるかわからない将来に賭けることだ。いい結果になるときもあれば悪い結果になることもある。将来良い結果が得られることを想定して、その結果が得られるにはどうすればいいのかを考える。だが考えたところでその通りになる保証はない。では考えることは無駄なのかというとそうでもない。試行錯誤を繰り返すことで自分なりの道筋を見つけ、良い結果にたどり着くことができたりする。それでも完全な道筋ではなく、ときに大きな失敗をしたりするのだ。

 

これまで学校では、解答が存在する問いについていかに効率よく解答までたどり着くかが求められてきた。でも今は解答のある問いはネット検索で済んでしまう。でも投資には解答はない。あるときはうまくいっても、またあるときはうまくいかないものなのだ。だからこそ自分なりに考え、自分なりの、自分だけの「解答らしきもの」を見つける必要がある。

 

老後資産2,000万円がいまだに波紋を呼んでいるが、これも人によって状況は異なり、老後をどうするかについての解答も人それぞれで、本来自分で考えるべきものだ。だが、あたかも「これが解答です」といわんばかりに様々な情報が溢れている。その中には投資詐欺もあり、また金融機関も巧妙に「解答」を差し出してくるが同時に手数料をもれなく払わされる。そしてそれが本当の「解答」になっていないことがほとんどだ。

自分で考えないと痛い目に遭うのは自分自身なのだ。

そして投資の世界は自分で考えないと痛い目に遭う確率が高い。だから投資は痛い目に遭わないように自分で考える訓練でもあるのだ。