投資狂日記

自由を追求するブログ

失敗の大きさと頻度

失敗というのは、したくないものだしできるだけ避けたいものだ。だけど何かをすれば必ず失敗が付きまとう。かといって失敗を恐れるあまり何もしないというわけにもいかない。要は失敗というものとどう付き合うかだ。

 

失敗について考えるのに投資は格好の材料になる。投資における失敗は、「損をする」ということだ。損をするにもその大きさと頻度がある。

よくあるのは、コツコツ小さく儲けてある時派手に吹き飛ばすパターンだ。せっかく長い期間積み上げたものが一瞬で吹き飛び、よくてトントン、大抵は損失で沈むことになる。いわゆるコツコツドカンだ。そしてこのパターンで再起不能となり投資の世界から退出していく。

逆に、ほとんど損失ばかりの出血を強いられ続けるもののあるとき大当たりしてその一発が逆転サヨナラ満塁ホームランとなり、それまでの損失をはるかに上回る利益を得るということもある。ベンチャーキャピタルの投資が典型的だ。

 

数としては前者のパターンが圧倒的に多いのだろう。そもそも後者のパターンでは損失を長い期間抱えることが苦痛で耐えられないからだ。それに大当たりがいつ訪れるのか分からないし、もしかしたら訪れないかもしれないのだ。それで、損失よりは少なくても利益を得られる方向へ向かい、前者のパターンにはまっていく。

 

では前者のコツコツドカンを避けるにはどうすればいいのか。やはり潜在的な損失の大きさを把握しておくことに尽きるのではないだろうか。知らず知らずのうちにこの潜在的な損失が大きくなっているから、何かのショックが起きた時にそれが顕在化してしまう。だから顕在化する前に損失の許容量がどれくらいなのか、最悪のケースに備えるべきなのだ。だがこれくらいなら大丈夫だろうと思ってしまう。しかもそれがうまく行ってしまうからやっかいなのだ。

 

コツコツドカンは、損失の頻度を少なくしようとするがその分損失自体が大きくなる。ならば損失の頻度を多くすることで利益が大きくなるのだろうか。

損失の頻度を多くするということは損失の規模を小さくするということだ。小さい損失すなわち小さな失敗の回数を増やすということは、試行錯誤を繰り返すということでもある。試行錯誤によって小さな失敗を積み重ね、より良い方法を探り出す。それがやがて大きな成功を生み出すことにつながるのだろう。

 

失敗は成功の基というが、再起不能な失敗をしてしまったら意味がない。失敗というとその大きさに目が行ってしまうが、必要なのは小さな失敗を数多く経験することなのだろう。