投資狂日記

自由を追求するブログ

横並びを嫌悪する原点

先週、次女が入学した小学校で給食が始まった。初めてで緊張したのか、全部食べられなかったらしい。幸い娘の小学校では無理矢理食べさせるようなことはないようだ。

 

だが私の時代は違った。小学校の給食には辛い思いしかない。子供のころの私は食が細く給食はいつも食べきれなかった。だが教師は残さず食べろという。パンなどはいつも家に持ち帰っていた。食べられないのだから量を減らせばいいのだが、それさえも許されない。みんなが食べ終わり昼休みの時間になっても教室に残された。無理矢理口に入れられるようなことはなかったけど、冷たい目でみられるような気がした。なんでこんな思いをしなければならないんだ、と悲しさや悔しさなどいろいろ混じってひたすら耐えていた。

今思えばもうこれは拷問に近い。食べようにも食欲がないのに無理強いされる。しかも残さず食べよという教育的指導を振りかざすのでなおさらたちが悪い。みんな食べてるのにお前だけなんでそうなんだ、という目で見ている。食べ物を大切にすることはわかるが、体質で食べられないのにどうしろというのだろう。

この給食によって、「みんなとは違う異質の自分」というものを強く意識させられた。自分はみんなと違うところがあるけど、なんとかしてみんなと同じにならなければならないと思って当時はとても窮屈だった。よく不登校にならず毎日学校へ行っていたと思う。こんなこともあって今でも食事に楽しみを感じることが薄い。

 

これが「横並び」というものを嫌悪する原点となった。大学の時もみんなが就職活動するなかであえて別の方向へ行った。みんなが大学を卒業してみんな一斉に企業に就職していくのを気味悪く感じていたからだ。それでも遠回りして企業に就職したが、そこでも半強制的な飲み会というものが存在した。私は酒に弱いが、そんなことお構いなしに酒を勧めてくる輩が必ずいる。酒に強い人間もいれば弱い人間もいるという単純なことが大人になってもわからないらしい。10人中9人が酒を飲んでいたら残り1人も有無を言わず酒を飲まなければいけないのか。そういう雰囲気を心の底から憎む。

 

私が自由を求めるのは、そんな「横並び」を強いるものから逃れたいからでもある。

そして横並びを避けることが有利に働くものが投資であり、それを見つけたことは幸運だったと思う。

 

自分がこんな思いをしてきただけに、娘が元気に学校へ行く姿を見てほっとしている。