先日の土曜日は娘の小学校で授業参観があった。コロナ禍もあって参観できるのは家族で一人限定なのだが、途中で入れ替わることは可能なので、妻と入れ替わりで観てきた。
娘は小学3年生で、授業は算数だった。分数を習い始めたようで、分数の足し算をしていた。
算数は学年が進むにつれて差が出やすい科目だ。娘の通う小学校は算数に力を入れているらしく、算数のみ習熟度別にクラス編成し学習している。うちの娘は幸いにも優秀なクラスに入っていたが、授業を見ているとおそらく家庭でしっかり学習している子供が多いようだ。すでに塾に通っている子供もいるのだろう。
そんなこともあって、分数の計算はあっさりとこなしていた。でもこの子供たちみんなが分数というものを本質的に理解しているのかはわからない。分数の計算をテクニックとして覚えているだけかもしれない。
子供たちの授業を観て、自分だったら子供たちにどう教えるだろうかと考えてしまった。
かつて掛け算の文章題で、「答えが合っていても式の順序が間違っているとバツになる」という採点方針の是非をめぐる論争の記事があったことを思い出した。
「6人のこどもに1人4個ずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればいいでしょうか」。
式を6×4と書いた子供と4×6と書いた子供がいて、合っていた答えにはマルがつけられたものの、式にはバツがつけられたという(ちなみに間違えた式は6×4、正しい式は4×6であるらしい)。
6×4も4×6も結果は同じなのだから、順序が違うからという理由で間違いとされることには違和感がある。だが、「掛け算とは何か」という本質に照らし合わせると事はそう単純でもなくなる。
掛け算を「1つ分の数」×「いくつ分」と定義すると、4個×6人すなわち4×6ということになる。6×4では6個×4人と考えたのではないかとなってしまうのだ。
とはいえバツにするほどの間違いともいえないだろう。本質は順序にあるわけではない。
もし間違いとされた子供がなぜ間違いなのか納得できずに間違いだとしてそのまま放置されたら算数を好きなることはないだろう。もしかしたらこうした些細なことをきっかけにして算数が苦手になったり嫌いになるのかもしれない。
大人なら当たり前と思えることは子供にとってはそうではない。
大人だって当たり前と思うことを本質的に突き詰めて考えることをしていない。
子供に教える前に、大人が本質を突き詰めて考えていないと本当の意味で教えることにはならない。
本質的なことをわかりやすく教えることは難しい。
授業中、娘が真剣な眼差しでノートに書いている姿をみてそんなことを思った。