投資狂日記

自由を追求するブログ

全体最適と個別最適

高市改造内閣が発足して、今後の政策が進むことが期待されている。でも政府というものに私はあまり期待していない。なぜなのかをうまく言語化できないでいたのだが、先日たまたまユーチューブでこんな動画を観て、妙に腑に落ちた。

 

その動画がこれ。


www.youtube.com

 

作家の橘玲氏と経済思想家の斎藤幸平氏の対談だ。橘玲氏は顔出ししておらず、動画で声を聴くのも初めてだ。

対談の内容は「貧困化する日本」についてなのだが、二人とも「日本が貧困化する」という現状認識は一致している。じゃあどうするのかというところで、国家には期待できないという橘氏と、国家にこそ変革の役割があるとする斎藤氏の意見が対立する。

 

ここで橘氏は、自分が幸せに生きるにはどうすればいいかという点に関して「全体最適と個別最適の問題」を指摘する。

 

個別最適を追求すると全体最適とうまく合わないということがしばしば起こりうる。

すると、全体最適=利他主義、個別最適=利己主義として全体最適の立場から利己的な個別最適を道徳的に批判したり、国家権力が介入して個別最適を否定することが行われてきた。例えばソ連のスターリン、中国文化大革命の毛沢東、カンボジアのポル・ポト、北朝鮮の金日成、ベネズエラのチャベスなど、どれもとてつもなく酷いことになっているという歴史的事実を突きつける。

「全体最適=善」「個別最適=悪」として叩くのは、ろくなことにならない。よりよい社会をつくろうとして全体最適を優先させようとすると大抵うまくいかない。

 

橘氏はさらにポル・ポトの具体例を挙げる。

ポル・ポトは中央銀行と通貨を廃止して市場経済を物々交換に換え、私有財産を全て否定し、カンボジアに原始共産制のユートピアをつくるという約束をした結果、4分の1の国民が餓死と虐殺で死んでいった。

こうしたことから橘氏は、国家を信用して全体最適を優先してしまっていいのかという疑念が常につきまとうという。

 

この話に司会の加藤浩次氏が「橘さんのおっしゃったことおもしろいですねえ」と反応すると、斎藤氏は「すると加藤さん、私がポル・ポト派みたいになっちゃう。」とちゃかすことしかできないほど切れ味が鋭い。

橘氏はその著書で切れ味鋭い冷静な文体なのだが、話をしてもそれは同じだった。落ち着いた口調がさらに説得力を増している。

 

高市政権も積極財政と称して大々的に政策を進めようとしているが、これも実はある意味全体最適を目指しているのではないのか。政府が財政支出すれば経済成長して経済が強くなるというが、かえって悲惨な結果を招くことになるのではないか。

 

私が以前に述べた「歴史の振り子」はこの全体最適と個別最適の間の揺れ動きともいえるのかもしれない。そして今、その振り子は全体最適に向かっているような気がしてならない。