投資狂日記

自由を追求するブログ

ゼロサムゲーム的世界観

先日、日経電子版で歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が寄稿した記事を読んだ。

ハラリ氏が現状の世界をどう見ているのか興味があった。

 

ハラリ氏は、世界が互いに協力して「ウィンウィン」を志向する自由主義的な秩序を失い、「要塞国家」が力を競う姿に変貌しつつあると警告している。

 

そうした変化の中心にトランプ氏がいるが、彼はゼロサムゲーム的な世界観を有しているという。

この世界観のもとでは、取引には常に勝者と敗者が存在し、誰かが得をしているならば誰かが損をしていることになる。そして自分たち強者の場合、弱者は強者の要求に従っていればよいと考える。自分たちが損をしていると感じる場合には、力をもって覆そうとする。

 

結局は自分たちが利益を得るには他者から利益を奪うという発想にしかならない。

こうしたゼロサムゲーム的世界観が蔓延しつつある。

 

日本でも財務省を悪玉に見立て減税などを迫り、選挙を目前にした政治家たちもその流れに乗ろうとする。これも政府が国民から不当に得ている利益を自分たちによこせという発想だ。

自由主義的秩序のもとでは互いに協力することは有益であり、それが資本主義とも結びついて新たな価値を生み出すことで世界全体が恩恵を受けてきた。パイの奪い合いではなく、パイそのものを大きくするというプラスサムゲームの世界観は失われていくのだろうか。

 

株式投資はそもそもプラスサムゲーム的世界観を前提にしている。

だが短期的取引においてはゼロサムゲームのように利益の奪い合いのようになって勝者と敗者に分かれてしまう。しかも勝者として残り続けることは難しく、いつの間にか消えていき、残るのは虚しさだけだ。

 

他者から奪う発想をやめ、互いの協力が利益を生むということを知るには、株式投資は優れた教材となる。