私の父が亡くなって1年が経った。1周忌の法要も終わり、父がもうこの世にいないことを今更ながら不思議に思えてくる。
1年前の出来事が蘇る。
父の葬儀が終わり、火葬場で遺骨を骨壺に入れているとき、自分もいずれは同じような姿になるのだと思った。
これは揺るがしようのない、確実にやってくる将来の事実だ。
死を身近に感じる時にこそ生きていることを意識する。
普段の日常でそういったことに触れる機会は滅多にないから、かえって生きている実感を持つことなく漠然と時間が経ってしまう。
そしてその時間を取り戻すことはできない。
時間は有限で貴重だと思うことは、生きている実感を持つことでもある。
時間をないがしろにすることは、生きていることをないがしろにしていることと同じだ。
限られた時間をどう生きるかは自分で決める。
父の命日が来るたびにそれを再確認することになるのだろう。