日経新聞で連載された「キセキの高校」という記事が面白い。
東京都立の最底辺高校から有名大学合格が相次いだが、その変貌には「哲学対話」という取り組みにあるという。
この哲学対話では、身近にある「なぜ?」「どうして?」をテーマに対話をしていく。例えば「校則は必要なのか」「なぜ勉強しなければならないのか」といったことだ。何を言っても自由で、発言について否定しないというのがルールだという。
そして「問い」に対して考えることで鍛えられた生徒たちがみるみる変わっていく。
近頃は「わかりやすさ」が求められて、わからないことはグーグルで検索するようになっている。でも「なぜ」「どうして」という問いの答えは、検索しても出てこない。
普段、「なぜ」「どうして」と思っても、そこで止まってうやむやになってしまう。
深く考えずにわかったつもりになっている。
そして周りに「なぜ」と問いかければ、おそらく面倒臭い奴と思われるだろう。
そうやって考えることをしなくなっていく。考えることはエネルギーを使うことでもあり疲れることなのだ。
でも「問い」を発し、考えることというのはますます重要になる気がしている。
AIは自ら問いかけることはしない。
問いかけ、考えることができるのは人間だけだ。
だが、すべての人が考えているわけではない。
これからは突き詰めて考える人間が頭角を現す世の中になるだろう。
この日経記事を読んでそう思った。