投資狂日記

自由を追求するブログ

健康という裏付けがあってこその「時間」という資産

先日、家族で私の実家に遊びにいったとき、私の小学生時代の同級生が亡くなったと母から聞いた。その人とはあまり付き合いがなかったものの、同級生が亡くなるというのはやはりちょとショックだ。どうやらガンだったらしいのだが、40代半ばでも身近にこうことが起きるようになってきた世代だと痛感した。

 

同級生ではもっと若い時に、事故にあって亡くなった人もいた。職場でも私より少し若かった人が病気で亡くなったということがあった。

意外と人が亡くなるというのは身近に起こっている一方で、普段自分自身は次の朝も問題なく目が覚めると思っている。だが平均寿命が延びているといっても、自分がそこまで生きるという確証は何もない。ある日突然病気になるかもしれないし、事故にあうかもしれないのだ。

 

時間というのは限られたもので、過ぎたら戻ってこない貴重な資産だ。そしてその時間という資産は健康であってこそ、その価値を存分に発揮する。

どうなるかわからない将来を心配するあまり今を犠牲にして将来に備えることはある程度は必要だけど、もっと今というものを大切にする必要があるのではないかと思う。

 

体調を崩すくらいまで働くというのが本当にそこまで必要なのか。

本当にやりたいことを押し殺して、将来のために我慢するのが自分にとっていいことなのか。

 

今、健康であることはとてもありがたいことだ。そのありがたみを感じつつ今を大事にすることこそ時間という資産の使い方だと思う。