投資狂日記

自由を追求するブログ

投資家というライフスタイル

個人が投資家として食っていく、ということに世間一般では胡散臭いものに映っている。だから「仕事はなんですか」と尋ねられると答えるのに躊躇してしまう。

自分の親にでさえ投資というのを説明するのに苦労する。

「株のほかにも先物とオプションというのがあって、それを組み合わせてリスクをヘッジしながら云々・・・」と言ったところで理解されるはずもない。

自分の子供からも「お父さんの仕事何?」と言われると説明するのが難しい。いずれちゃんと説明しなければならないとも思っているが、わかってもらえるかはわからない。今、自分の会社を作ろうとしているが、それは「会社役員」という肩書ができ、幾分説明を省くことも可能になるということもあるのだ。

 

投資が仕事といっても、何かを生み出しているわけでもなくギャンブルに似たことをしているだけだ。ここになにか後ろめたいものを感じてしまうのだろう。

 

投資は社会貢献につながるともいわれる。確かに創業間もない企業に出資してその企業が社会に受け入れられて成長したというのならば、その投資は社会貢献したことになるのだろう。だが、通常の投資家は市場で売買するだけだ。株を買った金は売り手に渡るだけで、直接に社会貢献しているわけではない。間接的にも実感することは難しい。

だから「投資は社会貢献です」といわれても気恥ずかしくなる。

ただ、投資家として資産を築いたあと、寄付というかたちで社会貢献することはできる。将来のことなのでできるかどうかは不明ではあるけど。

 

投資家というのは職業ではなくてライフスタイルといったほうがいいのかもしれない。

他人からはなかなか理解されないかもしれないけど、他人の目を気にしていたってしょうがない。

 

単純に投資というのが楽しくて好きなのだ。

それでいいじゃないか、と言い聞かせている自分がいる。