私の娘は学校の図書室からたくさん本を借りてくる。先日も図書室から借りてきた数冊の本がテーブルに積んであった。妻も小説を読むのが好きなので親子で本の話をしていたりする。そうやって本を読む習慣ができたことは非常にうれしいことだ。
子供だけでなく大人も活字離れと言われて久しい。紙の新聞を読む人も減っている。実際、私がゴミ置き場に新聞雑誌の束を出しに行くと、段ボールはたくさんあるが新聞雑誌の束があることはほとんどない。
活字を読むことが敬遠されるかわりに映像化されたものを観るようになった。
活字の本より漫画、そして動画へと流れていく。とっつきにくい古典やビジネス書ですら漫画化される。
それが何をもたらすことになるか。
例えば、小説を読むときは文章から自分で想像してそれを頭の中で映像化している。この想像するということは脳にかなり負荷のかかることなのかもしれない。だからその負荷を嫌って直感的に理解できるものに頼りたくなる。文字を読んで文章の内容を理解するというプロセスを辿るより、画像を見て直に理解するほうがはるかに楽だ。
その結果、想像力が次第に衰えてきているのではなかろうか。
画像や動画を観たそのままで理解することばかりしていると、頭の中で想像する機会は減っていく。
最近は驚くような事件がいくつも起きるが、どういうことが起きるか想像できなかったのかと思うようなことも多い。先日起きた幼稚園の送迎バス内置き去り事故なんてまさにそうだ。
想像力が衰えれば他人がどう思っているかを感じることも衰える。
文章を読むというのは筋力トレーニングと一緒のような気がする。使わない筋力はどんどん衰えていくように、普段から文章を読まないでいると読解力や想像力は衰えていくくものだと思っている。
なので意識的に文章に多く触れるようにしている。
だから本を読むし、いろんなブログの記事を読む。
そして自分もブログで文章を書く。
世の中が映像へと流れていくなかで、あえて活字にこだわっていきたい。