サントリーの新浪社長が経済同友会のセミナーにおいて日本経済の活性化のために「45歳定年制を敷き、個人は会社に頼らない仕組みが必要だ」と発言した。このことが波紋を呼んだらしい。
「45歳定年制」という言葉がリストラを想起させ、反発を招いたのだろう。
45歳定年制の是非はともかく、「個人は会社に頼らない仕組みが必要だ」ということについてはどうなのだろう。新浪社長が言いたかったのはむしろこっちではないのだろうか。
平均寿命が80歳を超えるようになったが、45歳というのはその半分を通過したあたりだ。人生が半分過ぎて、残り半分をどう過ごすか。それを考える時期として45歳あたりというのはまさに節目なのだ。私もそうだが、この頃になると先が大体見えてくる。会社に勤めていてもどこまで昇進できるか見当がつく。やっている仕事の将来性、自分のスキル、新しいことに取り組む気力、自分の体力の衰えなども見えてくる。
そういう見えてくることを踏まえて、現状にしがみつくのか、自分で新しい道を探すのか。それを考えないと残りの人生を無駄に費やすことになりかねない。
現実では個人が会社に頼らない仕組みが整っていない。だからこそ45歳定年制という言葉でリストラを思い浮かべ、会社にしがみつくしか手段がないと感じてしまう。
時間は容赦なく進んでいく。歳を取れば取るほど時間の感覚は短くなる。残りの半分の人生は想像以上に短いと感じるはずなのだ。その半分を全うできるかすらわからない。病気になるかもしれないし、災害や事故に巻き込まれるかもしれない。
仕組みがないからといって誰かのせいにして文句を言ってもしょうがない。
自分の生き方は自分で考えるしかない。
死ぬ間際に後悔しないためにも45歳という節目に自分の生き方を見つめ直すことは大事だと思う。