あちこちで投資が話題になっている。新NISAをどう活用するか、何に投資すべきなのか、など本当に盛り上がりを感じる。
その一方で、ブームのようなある種の危うさも感じている。
そもそも「投資」というものをどう捉えているのだろう。
おそらく多くの人は老後に困らないように資産を築くために投資をしようとしている。そしてその目的を達成するためにはオルカン一択でいいとされ、多くの人が殺到している。
別に間違ってはいない。むしろ最も合理的なのだろう。
でもそれが投資だというのにはちょっと違和感がある。
確かに合理的だけど、株式会社の仕組みがどうなっているかとか、個々の企業が世の中にどんな影響を与えているかとか、そういったことをすべてすっ飛ばして経済的な果実だけ得ようとする。
オルカンを買っていても、個々の企業が何をしているのか全く興味がないとしたら、それを投資と言っていいものなのかどうか。投資行動というより投資商品を購入する消費行動ではないのか。
これはおそらくリスクが絡んでいるからだろう。
投資にリスクはつきものということはわかっているが、できるだけリスクは避けたい。リスクを避けるということは見たくない現実をできるだけ見ないで済ませるということだ。そのため、解像度を上げて生々しい現実をまじまじと見ようとするのではなく、遠くからぼやっとしか見えないようにするのだ。だからすべて丸ごと包むことでリスクが中和され、しかもコストが安いオルカンというお手軽な投資商品の”消費”にたどり着く。
でもリスクはぼんやりとしか見えていないだけで、実際には確実に存在している。
投資の先には生々しい現実があり、それに向き合うからこそ大きな利益が得られる。
リスクが小さいとしても、そこに大勢が群がることで新たなリスクが生まれるものだ。
リスクをぼんやりとしか見ていないことがリスクになる。
「投資」を投資商品の消費行動にしてしまうのも資本主義経済ならではなのだろう。