合理的に考え、合理的に行動することは生きていく上で重要なことだ。投資においてもそれは同じだろう。
では合理とはなんなのか。
投資に関していえば経済合理的に判断し行動することになるが、このときの合理とは損得で考えて得になるようなことなのだろうか。
おそらく普通はそういうことなのだろう。なるべく得になること、利益になるように判断し行動することになる。だが、損得で行動することは本当に合理的といえるのだろうか。
合理とは、論理的に正当であること、道理にかなっていることを意味する。
では道理とは何か。
物事のそうであるべきこと、筋が通っていること、当然であること、もっともであることをいう。
合理的に考え行動するのは幸福になるためだ。
投資において損得ばかりで行動していても幸福になるとは限らない。
経済的合理性を追求した結果、幸福になれないのではそもそも合理的とはいえなくなってしまう。
損得を追求するうちに目先の利益に目を奪われるようになり長期的な視野を欠くようになったとすれば、道理を外れていく。
資本主義に対して懐疑的な見方が増えているのも、そうした目先の損得を追求した結果ともいえる。
経済合理性は目先の損得を超えたところにある。
社会に貢献したり良い影響を及ぼすような事業を営む企業が、良い影響を及ぼすからこそ持続的に存続できて利益を生み、またそういう企業に投資するからこそその利益を享受することができる。
これこそ株式投資の道理であり、この道理にかなうことこそ合理的ではないかと思っている。