投資狂日記

自由を追求するブログ

「家」と「屋」

自民党派閥の政治資金問題で大騒ぎだ。政治と金の関係は永遠の課題なのかもしれないが、なんともみっともない有様だ。これを好機とみて野党は批判を強めているが、その野党議員とて似たり寄ったりではないのか。

 

政治に携わる人は「政治家」といわれる。

一方で、「政治屋」と揶揄されることもある。

今、日本の政治の世界はこの「政治屋」ばかりではないのか。

政治による利権を利用して私腹を肥やそうとしたり、議員の身分に執着して政党をあちこち変えたりしている。頭の中にあるのは次の選挙のことばかりだ。まさに「政治屋」の名にふさわしい。

 

この「家」と「屋」の違いは何か。

「家」がつくと尊敬のニュアンスが感じられる。政治家、芸術家、教育家、専門家、そして投資家。

これらを「屋」に変えると、侮蔑というか蔑称のニュアンスが感じられる。もちろんすべてがそうではなく、魚屋や八百屋にはそういったニュアンスは感じられない。だが証券会社は株屋と呼ばれたりするし、私も経理の仕事をしていて経理屋と呼ばれたこともある。

 

おそらく「屋」には「それで稼いで飯を食っている」という商売的な意味があるのだろう。政治屋というのは政治で飯を食っている輩というわけだ。

一方の「家」は特定の分野に真正面から取り組んでいることが前面に出ていて、稼いでいるかどうかはどうでもよく、その分野で大きな成果を出しているかが問われるのではないか。だからこそ「家」には尊敬のニュアンスがあるのだ。

 

国会議事堂には3人の銅像がある。議会政治の基礎を築いた伊藤博文大隈重信板垣退助の3人だ。銅像にされるのは「政治家」としてそれだけの功績を残したからだ。そしてもう一つ銅像がたっていない空の台座がある。これには「政治に完成はない、未完の象徴」という意味があるそうだが、銅像にされるほど偉大な「政治家」が現れることを期待していることでもある。

銅像の3人が今の政治の状況を見たらどう思うのだろう。