投資についてだいぶハードルが下がってきている一方で、頑なに「投資なんて絶対しない」という人もいる。
投資しないという人はお金を大事に握り続ける。これは裏を返せば、お金という貨幣を保有する選択をしていることであり、立派な「投資判断」ともいえる。突き詰めれば誰もが投資家であって、単に投資に意識的か無意識的かの違いにすぎない。
無意識的投資家は現金を保有することにリスクを感じていない。現金が最も安全で、なにより元本割れすることがないと思っている。「元本割れ」という言葉を嫌い、元本割れの可能性があるものをとにかく遠ざける。たしかに貨幣の表面にある数字自体が変化することはないが、それが持つ価値が変動しうることに気づいていない。元本割れしなくても、元本自体の価値が変化しうることを見落としている。
円という貨幣は為替市場で下落が続いているし、長らく続いてきたデフレからインフレへとなりつつある。1万円札の表示は変わらないが、そのお札で今買えるものが将来は買えないかもしれない。
デフレ状態では現金を保有することこそが効果的であり、結果として無意識的投資家が恩恵を受けていた。だが、その恩恵を受けていたことすら無意識であるため気づいていない。「これまで不都合はなかったのだからこれからもずっとそうに違いない」と現金を保有し続ける。
むろん、今後も現金保有が最も効果的である可能性はある。でもそうならない可能性も当然あるわけだ。
インフレ傾向になって、これまで無意識的投資家であった人も意識的投資家へ変化し始めた。一番リスキーなのは無意識的投資家で、皮肉にも本人は最も安全だと思っている。
「安全」というのは単に思い込みなのかもしれない。安全を常に追い求めるけれど、逃げ水のようにいつまでも手にすることができない。
だから安全だと思っているところにリスクが襲い掛かり、人々を混乱させ、安全ではなかったと思い知らされるのだ。
安全を手にすることはでいないが、リスクを少なくすることはできる。
そのためにリスクに無意識であってはならず、意識的にリスクと付き合わないといけない。