投資狂日記

自由を追求するブログ

政府に対する信用

2年後をメドに現在の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードへの一本化を目指すという方針を政府が発表した。これまでマイナンバーカードの取得は任意だったが、実質的に強制という形になる。

 

マイナンバーカードの現状の普及率は約5割だ。なかなか普及しない理由としては「政府への不信」が根強いことにある。個人情報が流出しないのか、将来的に個人財産の把握に使われるのではないか、などの不安が拭えない。そしてその不安を上回るようなメリットもはっきりしないのだから普及しないのも頷ける。

 

このマイナンバーカードの普及状況からもわかるとおり、国民は政府に対して潜在的に不信感を持っている。ところが、円という貨幣について国民は信用しているように見える。貨幣に信用があるのは政府に信用があるからだとされるが、マイナンバーカードには不信感があり、貨幣はそうではないということなのだろうか。

 

おそらく政府のする行為には不信感があるが、政府の保有する資産があることは信用できるということなのだろう。

でも本当にそうなのか。

政府の保有する資産などほとんどの人はわからないし、知ろうともしない。そして日常で貨幣の信用など普通は気にしていない。

 

では貨幣の信用を気にするような事態とはどんなことなのか。

おそらく、買い物のときにそれまで使っていた貨幣で支払いができないときではないか。極端な例でいえば、昨日までは円で価格表示されていたのに今日からは突如ドル表示になっていて、ドルでしか決済できないようになっていたらびっくりするだろう。一体どうしてだと。仕方なく別の店に行ってみても円で取引してくれるところがなかなか見つからないとなれば、円という貨幣に何かが起きたと誰もが思うようになる。つまり、貨幣の信用というのはその貨幣を貨幣として受け取ってくれる人がいるかどうかにかかっている。相手が貨幣として受け取ってくれ、またその受け取った貨幣を別の人も貨幣として受け取ってくれるから貨幣は成立している。

だから貨幣として受け取ってくれない人が現れたときこそその貨幣の信用が崩れ去るきっかけになる。

 

では貨幣を貨幣として受け取ってくれない人が現れるのはどういうことなのだろう。

政府への信用が関係しているのだろうか。政府の資産があまりないということを誰かが知ったからなのか、それとも政府の行為への不信感が極まったからなのか。あるいは政府とはまったく関係ない理由というのもありうるのではないか。

 

信用というのは人の心、内面であるだけに理屈で説明しきれないところがある。そうした信用というものを土台にしているからこそ脆いことがあることは心に留めておきたい。