投資狂日記

自由を追求するブログ

暇と退屈について考える一冊

人は暇があることをあまり肯定的に捉えていない。暇を過ごしていると何もすることがない空っぽな人と思われたりするからだ。だからある人は手帳のスケジュールが埋め尽くされていることに安心し、またある人は忙しさをアピールしたりする。

 

でも、時間に追われてあくせく働くことから脱して、のんびり暮らしてみたいと多くの人は思っている。FIREという言葉が流行っているのもその証だ。

 

ところが実際にFIREを達成して暇な時間を手に入れると、その時間の扱い方に困ってしまう人もいる。現在は資本主義が発達したおかげでそうした暇を埋め合わせるサービスが充実していて、それらを利用すれば退屈を感じずにある程度過ごすことはできる。でもそれも次第に飽きてきて、求めていたのはこういうことではないと感じるようになる。働くことに嫌気がさして暇な時間を手に入れる選択をしたにもかかわらず、結局は暇に耐えかねて再び働きだしたりするわけだ。

 

そもそも暇とは何なのか。

なぜ退屈であることを苦痛に感じるのか。

暇をどう扱えばいいのか。

 

そこで今、この本を読んでいる。

 

哲学書と思えないほど読みやすいが、だからといってスラスラ読めるというほどでもない。この種の本は、思考しながら粘り強く読まなければならないので、手っ取り早く結論を知りたいというファスト思考の人にとっては苦痛になるだろう。

 

退屈こそが自由であることの証なら、自由を求める者は退屈とどう付き合うか考えておかねばならない。そうしないと、自由だからといって幸せだとは限らず、かえって不幸になってしまうかもしれない。