投資狂日記

自由を追求するブログ

新聞の使い方

年が明けて昨日は娘たちが通う学校も始まった。

今朝、学校への持ち物について妻と娘が話しているのをなんとなく耳にしていたところ、新聞紙を持っていくという。習字か図工の時間にでも使うのだろう。我が家では私が新聞を購読しているので、家には常に新聞紙がある。

でも最近では新聞を読まない家庭も多いというから、そういう家庭の子供たちは新聞紙を持ってこないのかと疑問に思った。妻にそれを言うと、そういう家庭ではわざわざ新聞をその都度買うのだという。また、新聞がある家庭の子はなるべく多く持ってくるように言われているらしい。新聞紙を持て来ない子もかなりいるからなのだろう。

 

新聞というのはその記事を読むだけでなく、その後の紙としての用途があって、なにげに重宝したりする。子供が学校で使うということもあるし、何かを簡易的に包むのにも使うし、段ボールの中の緩衝材としても使える。さらにはゴキブリが出現した時には叩きのめす武器にもなるし、格闘後の後始末にも使ったりするわけだ。

 

むろん、そういう副次的な目的のために新聞を購読しているわけではない。世の中の情報を得るという主目的のためだ。ネットから入手すればいいとも言われるが、それだと視野が狭くなるような気がしている。ネットでは気付かぬうちに自分にとって心地いい情報しか目に入ってこなくなる危険が常にある。さらに情報の質がバラバラで、偏った見方に陥ることもありうる。

新聞も記事は記者が書いている以上、記者の主観が混じっているのでそのまま鵜呑みにしてしまうことは危険だ。書いてある記事を読んでどう考えるかが重要で、また、世の中がその記事にどう反応しているのかも知る必要がある。

逆に、世の中の反応によって記事の論調傾向も変化しているようなら、それは危険な兆候なのかもしれない。