先日、ウォーレン・バフェット氏率いる米投資会社バークシャー・ハサウェイは株主総会を開いた。高齢であるバフェットは相変わらず健在だが、この偉大な投資家の後継者が誰になるのかは気になるところだ。バフェットに匹敵するパフォーマンスを出し続けるのは難しいと思えるだけに、後継者にはそれだけでプレッシャーがかかってしまう。
日本では日本電産の永守氏が会長からCEOに復帰する。1年足らずでのCEO交代となり、カリスマ経営者の後継者選びというのは難しい課題であることを印象づけた。
望ましい結果を出せなかったことが交代の要因だったようだが、本当にそうなのだろうか。表向きはそう説明したとしても、本音は自分がトップに立って采配を振るいたいと感じたからではないか。長年に渡って経営トップとして行動してきただけに、後継者のやっていることがもどかしいと感じることがあったはずだ。
これはファーストリテイリングの柳井氏やソフトバンクの孫氏にも同じようなことがいえる。なんだかんだいって自分がトップでないとだめだという雰囲気を醸し出している。自分自身で会社を大きくしてきたという自負と迫力は、雇われ経営者とは雲泥の差だ。
企業はゴーイング・コンサーン、すなわち継続するという前提にあるが、人間はそうではない。いずれ経営者は交代しなければならないのだ。その引き継ぎがうまくいかなければ企業は衰退していく。いかに優れた指導者がいたとしても、その次の指導者も優れているとは限らない。
そうしたことを見越してカリスマ経営者は後継者を育てようとするが、うまくいった例はあまり思いつかない。逆に、後継者にうまく引き継げなかったことによってそれまでの実績に傷がつき晩節を汚すことは歴史上しばしば起きている。
引き際というのは難しい。これは永遠のテーマでもあるのかもしれない。