投資狂日記

自由を追求するブログ

占い師が増える時期

今日の新聞には各経済雑誌の広告が掲載されていた。その内容として来年の予測を中心としたものが多い。

「来年はこうなる」と専門家があれこれ言及するのだろうが、去年の今頃に今年のコロナ禍のようなことを予測できた人などいない。予測は所詮予測でしかなく、それ自体に意味があるとは思えない。予測について責任はほとんどなく言いっ放しなのだから何とでも言える。そこかしこで来年を占う占い師が出現するわけだ。

 

私は占いの類は全く信じないのだが、占いが好きな人はいるし、占いを信じている人もいる。信じているかどうかはともかく、こういう予測が気になる人が多いからこそ雑誌で取り上げられるのだろう。

 

予測というものが気になるのは、将来がわからないことによる不安があるからだ。不安があるからこそ予測する。そして予測を知ることで安心を得ようとする。だがその安心というのは一時しのぎに過ぎず、時に予測を上回る現実がその安心を吹っ飛ばしてしまう。

 

予測というものがあてにならないことは、今年のコロナ禍という現実を突き付けられて明らかになった。それでもなお予測しようとする。将来がわからないという不安が消えることはないからだ。

もし本当に予測できるとしたら、安心できるかもしれないがきっとつまらない世界になるだろう。そしてなにより占い師の存在意義がなくなって困る人が多いに違いない。