株式投資をしていると、株価が買値よりも下落している状態で保有し続ける「含み損」に直面することは避けられない。
含み損の状態が非常に短く済む幸運もあるし、延々と続いて忍耐を強いられることもある。
この含み損という状態をどう扱うかは人によって異なり、「損切り」とも深く関連している。
一般的には、早期に損切りして含み損を解消して次に進むほうがいいとされている。
だが本当にそうなのか。
含み損という状態が嫌だから、それから解放されるための「損切り」と、
投資した企業の将来性や見通しが想定と違っていたことによる「損切り」
とでは意味合いが異なる。
私は原則として損切りしないことにしているが、厳密にいうと「含み損から解放されるための損切り」をしないということだ。
含み損は抱えてはいけないものとしてさっさと損切りすべきとされる。
そうすれば大きな損失となることはなく傷は浅くて済むからだ。
だがこれでは傷は浅くても、大きな利益を得られるようにはなりにくいのではないかと思う。
含み損を恐れるのは、損をしたくないという感情だ。この感情が強いと、含み益が生じたときにもそれを失う恐怖が出てくる。含み益が大きくなればなるほどそれを失う恐怖も大きくなり、結局その恐怖に耐えられなくなり早々に利益確定して小幅な儲けに終わってしまう。
大きな利益を得るには、含み損の状態を平然と受け入れられることも必要なのではないか。ただ問題なのは、一歩間違うと「塩漬け」状態になってしまうことだ。
「塩漬け状態」とは、投資した投資した企業の将来性や見通しが想定と違っていたにもかかわらずその株を保有し続けることだ。これこそまさに損切りすべきなのだ。
だが企業の将来性や見通しを都合のいいように解釈してしまい損切りを回避してしまう。
こうしたことが起きるから含み損になったら速やかに損切りすべきといわれるのだろう。
大きな利益を狙うには含み損を抱える覚悟がいる。そしてその覚悟は企業の事業を知ろうとすることによって生まれる。
企業がどんな事業をしていて社会に貢献しどんな役に立っているか、そしてそれによってどう利益を生み出しているのかを知ろうとすることだ。リーマンショックだろうが大震災だろうがコロナ禍で打撃を受けてもじわじわ盛り返す底力のある企業の株式であれば、長期的に見て報われる可能性は高く、含み損であっても保有し続けることができる。企業を知ろうとしないから含み損でも含み益でも不安になるのだ。
株式投資はいつでも順風満帆なわけではない。
含み損をどう扱うかは人それぞれだが、その扱い方で成果は違ってくるに違いない。