ある探し物をしていたら、探している途中で目にした別のもののほうが気になってしまい、探していたものはどうでもよくなってしまったということがよくある。
先日も同じようなことがあった。
ある小説をもう一度読んでみたくなって本棚を探しているときに、ふと目についた別の本を手に取ってパラパラとめくっていたら、そっちを読みたくなってしまった。
その本は「自省録」。
古代ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウスが記したものだ。マルクス・アウレリウスが皇帝に即位した時代は洪水などの災害、疫病の蔓延、異民族の侵略など多くの困難に直面した。そんななか彼が自分自身の内面と向き合い、思索や内省の言葉を日記のように書き留めたものだ。日記のようなものだから整った構成はないが、厳しい現実や困難に立ち向かい自分自身に向かって言い聞かせるような言葉には迫力があり、多くの著名人が座右の書に挙げる古典でもある。
古典というのは読み返すたびに違うものを発見する。その時々で、目に留まるところも解釈も違ってくるからだ。難解な文章もあるが、心に響く言葉がたくさんある。
「物事にたいして腹を立てるのは無益なことだ。なぜなら物事のほうではそんなことにおかまいなしなのだから。」
「君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。」
「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。」
「まっすぐでいるか、もしくはまっすぐにされるか。」
「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るだろう。」
今、新型コロナウイルスによって世界中が困難に直面している。そんなときだからこそこの現実にどう向き合うか、ヒントを与えてくれる気がする。