投資狂日記

自由を追求するブログ

持株への愛着は持たない方がいいのか

株式投資にあたって投資対象となる銘柄に惚れ込んではいけないとよく言われる。いざというときに手放そうとしてもそれができなくなってしまい、損失を抱えるリスクがあるからだろう。また、悪材料が出てもそれを直視せず、都合のいいように解釈してしまったりすることがあるかもしれない。感情に左右されず合理的判断が鈍らないようにすべきという見方には一理ある。

 

だが私はそう理性的にはなれない。人間は感情の動物だ。好き嫌いがあるし、こだわりもある。合理的に判断しようとしてもそれが難しいことはたくさんある。そもそもその判断が合理的かどうかなんて、後になってからでないと分からないものなのではないのか。合理的に判断したつもりが裏目に出ることもあるし、逆に直感的なことがいい結果を生んだりする。

 

ある銘柄が好きになったのなら、それには何らかの理由があるはずだ。事業内容が気に入ったのかもしれないし、経営者のビジョンに共鳴したのかもしれない。配当が多かったり業績が良かったからかもしれない。そういう投資対象を直接好きになるということは実は大切だと思う。それでもしその投資がうまくいかなかったとしても、それは自分の責任としてあきらめもつきやすい。

それに他人が奨めていたからという理由で投資するのは、失敗したときに自分ではなく他人のせいにすることにつながる。

私は、投資というものは判断を他人に頼っている限りうまくいかないものだと思っている。

 

私の持株は自分が気に入ったものしか保有していない。その中には業績が落ちてきているものもある。

例えば保有銘柄で一番保有期間が長いのはサンマルクホールディングスだが、ここ数年で業績が伸びなくなっている。含み益がまだあるうちにすべて売ってしまってもいいのだが、まだ最低投資単位の100株だけ保有している。

サンマルクカフェはよく利用するし、株主優待を利用できるということもある。だがなんといってもサンマルクという企業が好きなのだ。好きなのは店舗の雰囲気なのかもしれない。妻と結婚前にデートの待ち合わせで利用したのがサンマルクカフェだったからかもしれない。

サンマルクの業績が今後どうなるかは正直わからない。それでもサンマルク株はまだ保有し続ける。

愛着がなければ保有し続けることはできない。愛着があるからこそ保有し続けられる。株式は保有し続けることに意味がある。手放す前提で保有しないし、だからこそ保有し続けるに足るかどうかをじっくり吟味する必要がある。

そうすればその投資は自分で納得したものになる。そして愛着がなくなったとき全て手放すのを考える。愛着があるなら保有数は減っても持ち続ける。それで失敗したのならそれでいいと私は思っている。