投資狂日記

自由を追求するブログ

他人から評価される労働、自分で評価する投資

最近は賃上げムードに包まれている。賃上げが労働者のモチベーション向上につながることも期待されている。

だが一方で、仕事へのやる気は驚くほど低いらしい。とくに先進国の中で日本はさらに低いという。他の国ではやる気がなくてもそれを表に出したら解雇されるかもしれないのでやる気があるように振舞っているだけという見方もあるらしいが、ともかく労働というのはできればやりたくないというのが多くの人の本音なのだろう。

 

労働をしたくない根本原因はなんなのだろうか。

私は「他人に評価されなければいけないこと」ではないかと思っている。給料というのはたいてい上司など他人の評価に依存している。自分でいろいろアピールし、成果を上げて他人に評価してもらう。英語を勉強したり、資格を取ったりするのも他人からの評価を上げるためだ。そして時には上司の顔色をうかがい不正に手を染めたりさえしてしまう。

他人からどう評価されているか、見られているかということが常に意識のなかにあり、これが心身を疲弊させるのだ。給料が上がったとしても、心身の疲弊の対価としか思えない。労働したくない気持ちにはこの疲弊感があるからではないか。

 

一方、投資は原則として自分の評価で行うものだ。何に、いつ、どれくらい、どのような方法で投資するか、自分で評価して主体的に行動できる。それによって大きな利益を得ることもできるが、一方で大損する可能性もある。しかもその結果を受け入れなければならず、他人のせいにはできない。

ここに投資の醍醐味がある。他人がどう思っていようが、自分の考えに従って行動できる。投資によって大損したとしても、労働による疲弊感よりはましだと考えられるのは「納得感」があるからなのだろう。

 

仕事が楽しいという人は、おしらく自分の考えに従って行動できている人だ。経営者やフリーランスで働く人も顧客から評価される立場だが、自分の裁量で行動することができるので「納得感」を得やすい。

 

FIREという言葉が広まったのは「疲弊感>納得感」という状況から抜け出したい心理があるのかもしれない。

経済的自由は「疲弊感<納得感」を実現する究極の手段の一つなのだろう。