年明けに放送されるNHKのBSスペシャル「欲望の資本主義2024」を昨日観た。通常なら元日に放送されるのだが、能登で大地震が発生したことで放送延期になっていたのだ。
今年は「ニッポンのカイシャと生産性の謎」というテーマだ。
かつて日本的経営と称賛された日本の「カイシャ」は生産性の低さが指摘され、日本経済低迷の要因の一つとされている。そして「カイシャ」はどう変わるべきなのか、生産性を上げるにはどうすればいいのかを議論しているのだが、どうも腑に落ちない。何か違和感を感じた。
生産性を上げることは重要なのだろう。それによって経済が成長することも重要なのだろう。じゃあそれで本当に人々が幸福になるのだろうか。
生産性とは、少ない投入量からより多い産出量を得ることだ。例えば、効率的に仕事をして短時間で成果を出せるようになれば生産性は上がったことになる。
では何のために生産性を上げようとしているのか。
国の経済のためか、会社のためか。
違う。
自分の幸福度を上げるためではないのか。
生産性を上げて仕事の時間を短くすれば、空いた時間で家族や友人と過ごす時間が増えるかもしれないし、もっと趣味に没頭できるようになるかもしれない。あるいはもっとスキルを身に着けるため勉強しようとするかもしれない。
生産性を上げるという議論も、国のため会社のためという視点になっているような気がしてならない。
国のため会社のためにやっているということは、結局のところ国のせい、会社のせいにしていることと同じではないのか。
国や会社がなんとかしてくれるという受け身の姿勢をとり続ける限りどんどん沈んでいくだろう。