投資狂日記

自由を追求するブログ

無駄を許容できる余裕

最近は生産性や効率性が求められ、コスパのみならずタイパが重要視されている。そこでは無駄なものは徹底的に排除されるようになる。

 

無駄は本当に無駄なのか。

無駄とは、効果がないことや役に立たないことを意味している。

 

でも無駄が役に立っていることもある。

例えば、車のハンドルやブレーキにはいわゆる「遊び」がある。この「遊び」という無駄をつくることでかえってスムーズに効果を発揮するようになる。

 

無駄だと思って切り捨ててしまったら、後になって実は無駄ではなかったということは結構ある。

無駄かそうでないかなんて本当はよくわからないものなのかもしれない。

 

荘子に「無用の用」という言葉がある。

その意味は、「世間の役に立たないとされているものが、別の意味で非常に大切な役割を果たすこと。役に立たないことがかえって有用であること。」だ。

 

無駄だからといって安易に切り捨てて、大切なものを失っていないか。

それは心の余裕かもしれない。

 

荘子によれば、「遊び」とは何物にも囚われない主体的で自由な心の在り方をいう。

 

心に余裕を失えば、遊びを無駄として切り捨てるのかもしれない。

それで生産的効率的になったとしても、ちっとも楽しくはないに違いない。

でも残念ながら世の中はそうなっている気がする。妙にせわしなくギスギスしている。

荘子のいう「遊び」を体現している人はどれくらいいるのだろう。