三省堂が「今年の新語 2022」を発表し、大賞に選ばれたのが「タイパ」という言葉だ。「タイパ」は「タイムパフォーマンス」の略で、時間的な効率を意味し「コスパ」(コストパフォーマンス、費用対効果)にならって作られたという。
選考会のコメントには「世の中は活字文化から動画文化へ移行し、その時代を生きるためには、タイパの向上が不可欠になる」とある。
動画を倍速で視聴したり、勝手に短く編集して投稿された違法な「ファスト映画」が登場したりしている風潮を象徴する言葉なのだろう。
こうした状況になった背景には、情報量が増えたことに加え変化のスピードが速いがために効率的でないと消費しきれず、また消費できないと周りから取り残されるという恐怖感があるように思える。
でもこの「タイパ」を追求した先には何があるのだろう。
タイパよく様々な情報を消費したとして、それで得られるものは何なのだろう。
金品などを出し惜しみする人を「ケチ」と呼ぶように、わずかな時間の無駄も惜しむ姿を見ていると、いずれ「時間的ケチ」となっていくような気もする。
時間をいくら効率的に使い情報を消費したとしても、心が貧しくなっては意味がない。
実のところ、これは時間を効率的に活用するように仕向けられているのかもしれない。労働については生産性を高めるという観点から効率性が求められ、今度はプライベートな時間まで効率化を急き立てられる。
こうなると投資というのも「タイパ」が意識されることになるのだろう。そうなると長期投資というのは敬遠されがちになるかもしれない。成果が遠い未来にならないとわからない長期投資よりも、仮想通貨で一気に億万長者になった人がいると知ればそっちに向かう人が増えるわけだ。
時間に追い立てられてせかせかするより、何もせずボーっと空を眺める時間があるほうがいいと思ってしまうのは時代遅れなのだろうか。