映画やドラマを早送りで観る人が増えているらしい。最初から最後までじっくり観た挙句、面白くなかったとしたら時間を無駄にしたと感じるからだという。またネタバレサイトで結論を知ろうとするのも時間を効率的に使いたいという意識が背景にある。
こうした傾向は読書にも表れているのだろう。
全てを読むのではなく、結論や面白いところだけを拾い読みするのだ。
それで本当に時間を効率的に使ったことになるのだろうか。
米国株投資を薦める本を書いた厚切りジェイソンさんが批判され話題になった。それは米国株は右肩上がりを続けていると言ったにもかかわらず、今年に入って米国株が大きく落ち込んだため損失を被った人からの批判だ。
だが、ジェイソンさんの意図は、米国株インデックス投資は長期的にみれば報われる可能性が高いから短期的な変動に惑わされることなく投資を続けることにある。
だが彼を批判する人は、「米国株インデックスを買いさえすれば儲かる」という短絡的で誤った解釈による結論にのみ飛びつき、しかも誤った結論によって批判していることに気付いていない。自分にとって都合のいい見えやすい表面しか見ず、中身の本質を見ようとしていない。
おそらく批判した人は、事の本質を理解しようとしないまま自分の判断を他人のせいにして米国株インデックス投資を止めてしまうのだろう。そしてまた別の表面的な結論に引き寄せられてことごとく失敗していくのだろう。
結局、表面ばかり追い続けていても深く理解することはできない。最も危険なのは結論だけ見てわかったつもりになることだ。
本を拾い読みするのが効果的になるのは、既に数多くの本を読んできた人ではないのか。
数多く読んでいれば、読んでいるうちに似たような内容があったことに気付くこともありうる。だがそれでも違った切り口の見方があったりするので、その部分は読み進めるというようなことだ。
そもそも何が重要で何が重要でないかを判断する軸を作るには、本をじっくり読み込み、自分なりに考えるという行為が必要なのではないか。また、その判断の軸すら間違っているかもしれないと疑うことも必要になる。それをせずして自分に都合のいい表面をなぞっているだけでは薄っぺらい知識にしかならない。
今は無駄と思えることも後になって無駄ではなかったようなことはたくさんある。
省いたもののなかに実は重要なものがあったりもする。
コスパを重視しているようで実はコスパが悪いことになっているかもしれない。
そもそもコスパがいいことが本当にいいことなのか。
効率ばかり追い求めているとおかしなことになるような気がする。