投資狂日記

自由を追求するブログ

「無配は成長のため」は本当か

成長企業においては、利益で得た資金を配当として社外流出させるのではなく事業へ再投資したほうがよいというのが理論的に正しいとされている。

たしかに理屈の上ではそうだろう。

 

だが、現実の株式投資においてこれが本当に当てはまっているといえるのだろうか。成長企業ならば無配は当然とする風潮に落とし穴はないのか。

 

東証グロース市場には無配の成長企業が多く存在しているが、多くは株価が低迷している。それは金利の上昇による影響が大きいのだろうが、それだけなのか。

 

成長するために資金を投入しているにもかかわらず、その中で着実に利益が成長している銘柄はどれくらいあるのだろう。現実には事業に投下した資金が必ず成長につながるとは限らない。資金の使い方が不味ければただの無駄遣いになるという至極当然の結果になる。売上が伸びても利益が一向に出ず赤字続きという企業がいかに多いか。それでも成長のために配当しないという経営者の姿勢は、ファイナンス理論を盾に言い訳しているだけではないのか。

 

私は無配の成長企業に投資したことがあるが、うまくいった記憶があまりない。投資候補銘柄に無配の成長企業があって、その動向を定点観測していても株価は芳しくない。

 

やはり配当というのは、株主から経営陣へのプレッシャーであり、資金の使い方に規律をもたらす重要な役目があるのだ。配当するためにはいつまでも赤字を垂れ流すことはできない。利益を生み出しその一部を配当として投資家に還元する、というのが本来あるべき姿だ。

そういう意味で私は無配の企業を信用していない。

 

つまるところ、「無配は成長のため」ではなく、「成長できていないから無配」なのではないのか。「無配は成長のため」と経営者が公言できるのは、すでに利益を出している企業であって、その利益をさらに伸ばすために「あえて配当しない」という選択が株主に支持される企業だけではないのか。

 

無配なのは成長のためなのか、それとも配当できない言い訳をするために成長を前面に出しているだけなのか。

投資家も見極める必要があると思う。