投資狂日記

自由を追求するブログ

消費される「投資」

食料品の値上げが度々ニュースになっている。

銀座の高級時計店が白昼堂々強盗に襲われるという衝撃的な事件があったが、強盗が狙うのは現金そのものでなくなっている。そして、ポケモンカードが異常な高値で取引されるようになり、販売店が強盗事件に巻き込まれている。

物騒な事件をみても、着実に現金からモノへ重点が移っていて、インフレが進んでいることを感じさせる。

 

インフレが進めば現金の価値が減少するのは当然で、必然的に投資への関心も増していく。新しいNISAも始まるなど制度面からも後押しがある。いよいよ「貯蓄から投資へ」の流れが本格化する機運が高まっている。

 

でもその投資は、本当に「投資」といえるものなのだろうか。

というのも、実は「投資」というものを「消費」しているだけともいえるのではないか、ということだ。

 

投資していると思い込んでいても、実は金融機関のマーケティングに煽られて、投資信託という商品を「消費」させられている、ということはないのか。

先日、仕組み債の不適切な販売で千葉銀など3社に業務改善命令が出されたが、これも顧客が金融機関に「消費」させられていることを表しているのではないのか。

 

お金を使うという点で「消費」と「投資」は同じだ。

資本主義の社会ではあらゆるものが消費されるが、「投資」でさえも消費対象となってしまうのだ。金融機関が販売する投資商品もそうだし、投資を勧誘する怪しい投資セミナーもそうかもしれない。

 

本当の「投資」は「消費」とは違う。でもその違いを認識しておかないと容易く「投資」を消費するだけになってしまう。

消費では最終的にお金は消えてなくなってしまう。

「投資」しているつもりが「消費」になっていないか、自分自身で点検してみる価値はあると思う。