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余桃の罪

ロシアで民間軍事会社ワグネルを率いるプリゴジン氏が反乱騒ぎを起こしたものの、あっけなく終わってしまった。だが、権力者であるプーチン大統領の権威を傷つけた形になり、今後プリコジン氏の先行きはあまり明るくないのではなかろうか。

 

この事件から「余桃の罪」という故事を思い浮かべた。

「余桃の罪」というのは中国古典の「韓非子」にある故事だ。「余桃」というのは食べ残した桃を意味している。

 

中国の戦国時代、衛の国の弥子瑕(びしか)という若者が君主である霊公に仕えて寵愛を得ていた。あるとき、弥子瑕の母親が病に倒れたため、弥子瑕はひそかに君主の車を盗み出し、それを使って母のもとへ行った。君主の車に乗った者は、足切りの刑に処せられることになっていたが、弥子瑕の行為を知った君主は「刑を恐れずに親孝行をするほどのよい人物だ」と褒め称えた。また、君主の供をして果樹園に出かけたとき、弥子瑕は実った桃を口にしたところ、うまかったので食べきらず、食べ残した半分の桃を君主に与えて食べさせた。君主は「うまい桃を余のためにわざわざ食べさせてくれたのだ」といった。

しかし、後になって、君主は弥子瑕への寵愛が薄れると、「あいつは、余の車に無断で乗ったり、自分の食いかけの桃を余に与えた」などといってそしり、そのことを理由に弥子瑕は罪を受けたという。

弥子瑕の行いが、後になって変わったわけではない。しかし以前はしたことを誉められて、後で罪だとされたのは、愛する・憎むという、君主の気が変わっただけだ。だから君主に愛されれば、臣下の献策も真に受けられ、ますます親しまれる。憎まれれば、献策は聞き入れられず、ますます追い払われる事になる。したがって、君主を諌めたり議論したりする者は、君主の愛憎の心を推察したうえで進言するようにしなければならない。

そもそも龍という生き物は、飼い馴らせば人が乗ることもできる。しかし、その喉の下には直径一尺ほどの逆の鱗がある。もし人がこれに触ろうものなら、たちまちにして必ずその人を殺してしまう。君主にも、この逆鱗があるのだ。進言する者は、君主の逆鱗に触れないようにすることができれば、まず説得に成功するだろう。

 

この話は「逆鱗に触れる」という故事のもとにもなっている。

まさにプリゴジン氏はプーチン大統領の逆鱗に触れてしまったのかもしれない。

 

古典の凄みは、書いてあることが現代でも難なく当てはまってしまうところにある。

とくに「韓非子」は内容を知っていて損はない。組織の上下関係について役立つことは多い。