投資狂日記

自由を追求するブログ

株価の予想に膨大な労力をかける意味があるのか

インデックス投資がかなり普及してきて、株価の予想に膨大な労力をかける意味はないとする意見もある。そして株価予想の労力をかけたとしても直接的に何かを生産して富を増やすわけでもない。

 

確かに一理あり、否定するものではないが、かといって全面的に賛成できるとも思っていない。

 

株価の予想が、ただ単に株式市場で株価が将来上がるか下がるか予想するということであるなら、それにあまり意味はない。

しかし、ある企業の価値を推定するために労力をかけることは意味があると思っている。

 

株式を買うということは、株価や銘柄コードやインデックスといった「記号」を買うことではなく、「ビジネス」を買うことだからだ。ビジネスを買うためにそのビジネスについて理解しようとするのは当然だ。何も調べずに提示された価格で「記号」を買うのとは違う。世の中に貢献するビジネスを選び、支持する意思を投資という形で示すために労力をかける意味はある。

 

それに「価値」と「価格」は異なることがある。

現代ファイナンスによれば、「効率的市場」は利用可能なすべての情報を織り込んで価格が形成されるとされる。だが、現実は本当にそうなっているのだろうか。もしそうなら、なぜバブルという現象が生じるのか。価格と価値は常に一致しているとは限らない。だからこそ支払う「価格」が受け取る「価値」に値するかどうか吟味する必要がある。

そして、投資には過剰な対価を払うリスクがある。

株式投資でのリスクは、まず購入することにあり、ビジネスをできるだけ低い価格で買うことができればそれだけリスクは低くなる。逆に、過剰な対価を払うリスクは避けなければならず、そのためにはよく調べないといけない。

インデックス投資は取引コストは確かに低いが、インデックスそのものを高値掴みするリスクには無頓着なのだろうか。

 

むろん、労力をかけたからといって正解が得られるわけではない。不確実な将来を相手にしているのだから当然だ。そういうある意味無謀かもしれないことをしているのを見て、インデックス投資家は鼻で笑うのだろうか。

 

いろいろ調べるのはそれが楽しいし興味があるからであって、知識も身につくし視野も広がり無駄にはならない。他人には無駄な労力と思われていてもそれは余計なお世話で、本人はそう感じていない。

 

調べれば調べるほど企業があらゆる事業をしていることに興味が湧く。そしてその企業では多くの人が働いている。そこで人々が日々試行錯誤して上手く行ったり失敗しながら経済が動いている。そういう当たり前を意識して投資したいと思っているし、だからこそ投資に夢中になれる。

いくら合理的効率的に振舞ったところで夢中になれることがなければ虚しいだけだ。