努力することは大切だと思われている。確かに成功するには努力が必要とされる。だが、努力したからといって成功するとは限らない。これが厳しい現実だ。
それでも人は何かしら努力しようとする。
ただ、努力の方向を間違うととんでもなく時間を無駄にすることになりかねない世の中になってきている気がする。
例えば、英語などの語学。英語ができれば何かと有利だということで小学生から大人まで英語を勉強している。確かに英語ができれば役立つだろう。だけどかつてよりはその有効性は陳腐化しているのではないか。自動翻訳機の性能が上がり、日常会話ぐらいならそれで間に合ってしまう。今後も翻訳技術は向上するはずで、言語の壁はかなり低くなることが考えられる。にもかかわらず必死で英語を勉強することに時間をかけるのは努力の方向性として本当に合理的といえるのだろうか。
むしろ日本語で読解力を鍛えた方がよっぽどマシなのかもしれない。
また、生成AIが出てきたことでプログラミングも影響を受けるかもしれない。プログラミングの知識がなくても、あのChatGPTで質問すればコードを作ってくれる。今までアプリは他人に頼んで作成してもらうものだったが、これからは自分で作れるようになってしまう。実際、仕事の効率性を上げるために自分でアプリを作り成果を上げている人も存在している。こうなると、プログラミング言語を習得することが全く無駄とはいえないものの、その有効性は低下してしまうかもしれない。プログラマーが不足して賃金が高騰しているのも今だけなのかもしれない。
AIが仕事を奪うという警戒感は誰もが抱くが、何を学ぶかという方向性を考えないと努力が無駄になるという警戒感も持たないといけないのではないか。
世間ではリスキリングという言葉が飛び交っているが、学ぶ努力の方向を間違うとせっかく習得した知識・技能もすでに陳腐化していたということになるだろう。