投資狂日記

自由を追求するブログ

「株をやる」という表現

日常会話で株式投資に関する話について、大抵「株をやっている」といった表現に出くわす。この「株をやる」という表現にはいつも引っかかるものを感じる。

 

「株をやる」という表現は、おそらく株式市場での売買によって儲けること意味している。そして頭の中のイメージでは、多くのモニターに囲まれながら株価の動きを表すチャートを見て頻繁に売り買い注文を出している姿を思い浮かべるのだ。そして日々儲かったり損したりという成果に一喜一憂している。

つまりは競馬などのギャンブルと同様なものとみなしているからこそ「株をやる」という表現なのだ。だから人によってはこの表現に軽蔑や嫌悪感といったニュアンスを含んでいる。

 

たしかに株式投資は株式市場における株式の売買によって儲けを狙うものである。

ではもし株式市場がなかったとしたら、「株をやる」人はどうするのだろう。

株を売買する場がないのだから株には興味を失うに違いない。株式市場という賭場がないのだから当然だ。

 

だが株式投資は株式市場の存在が必要なわけではない。

株式投資というのは文字通り「株式」に投資することだ。株式というのは株式会社である企業が発行するものなのだから、株式投資の本質はそれを発行する企業に投資することにある。そこに株式市場の有無は関係ない。株式市場があるのは、その方が便利で投資家にメリットがあるからにすぎない。

 

その便利さがどんどん進むことによって、企業に投資する本来の意義から離れていき、株式市場での株価の上下にしか興味のない人々を引き付けてきた。取引に参加する人が多いほど価格形成が安定するので望ましいが、同時に株式投資の本質からズレていくことにもつながっている。

 

「株をやる」という表現が、日本の資本主義が本当の意味での資本主義になっていないことを示している気がしてならない。