投資狂日記

自由を追求するブログ

”日本株”というひとくくりで見ることの危うさ

今、米国株に人気が集まっている。コロナ禍にあっても業績は堅調であり、GAFAという巨大企業が株価を牽引していることもある。株価が右肩上がりなうえ、配当金もいい。こうしたことが個人投資家にも知られるようになり、証券会社での取り扱いも増えたことも大きい。さらにはETFなどのインデックス投資が普及し、S&P500指数など米国市場全体を買う動きも影響している。

 

その一方で、日本株への関心は弱まっている。人口は減少し、高齢化が進み、政府の財政赤字は巨額で、日本の将来性は明るくないのだから当然ともいえる。

 

だが、だからといって日本企業のすべてに将来性がないわけではない。確かに日経平均銘柄に採用されている企業の多くには将来を期待できないが、すべてがそうというわけでもない。日本企業の中にも将来性が期待できる成長企業が存在するのも確かなのだ。にもかかわらず”日本株”や”日本企業”としてひとくくりにして切り捨ててしまうのはもったいない。

 

日本という国は衰退するかもしれないが、それによってすべての日本企業が衰退するわけではない。衰退する企業があれば、それに代わって勃興する企業が必ず現れる。これは現在進行形でもある。

期待されていないところにこそ希望が眠っている。”日本株”というひとくくりでは期待されていなくても、個別には魅力的な日本企業が存在する。

日本株への関心が薄れることは、そこに大きなチャンスがあるということだ。これを狙わない手はない。