投資狂日記

自由を追求するブログ

お金の価値

先週ようやく国からの1人10万円の給付金が口座に入金されていた。家族4人なので40万円。ちょうど子供用の証券口座開設が無事完了したので、子供分の給付金はそちらに移すつもりだ。そしてそのお金に働いてもらう。子供が成人になったときにはどうなっているだろう?

 

それでふと思った。

株式などで運用していたとして、将来その価値を測るのが今と同じように「円」なのだろうかと。

 

今回の給付金は国債の発行で賄われている。その国債は金融機関が間に入るものの日銀が実質的に引き受けることになる。つまり日銀がお金を刷って国民にばらまいたことと同じだ。

国債を発行してもまだまだ大丈夫だという意見もあり、実際そうなのかもしれない。それならいっそ税金の徴収などやめてすべて国債で賄えばいいではないかと思ったりもするが、そんな国はどこにもない。結局は税金が担保なのだ。今回の給付金も将来的に税金という形で徴収されることになるはずだ。いや、明確な税金という形ではなく、インフレによる実質的な税金徴収となる可能性が高い。

 

たとえそうだとしても今の状況では現金の給付を日本国民は歓迎している。お金の価値が高まってみんな持ちたがっている。お金はみんな欲しい。だがその欲しいお金が将来も「円」というお金なのかどうか。

 

私は政府というものを信用しすぎないようにしている。だから「円」をなるべく他の価値を生むものに変換しておくことを意識してきた。株式投資をするのもその一つだ。

 

今は「円」というお金には価値がある。40万円というお金に価値を感じる。だが将来もそうとは限らない。

お金を貯金することは大切だ。だがお金の価値は絶対的なものではない。

この子供たちへの10万円給付金を子供用の証券口座で運用することは、そういうことを子供たちに伝えるいい機会なのかもしれない。