最近、現代貨幣理論(MMT)というのをよく目にする。
その理論によれば、自国通貨の発行権限を持つ政府は債務不履行に陥らないので財政赤字になっても財政出動を増やせという。
これまでの常識なら、財政赤字が増えればインフレが進む可能性があるので財政の健全化は必要とされている。だがこのMMTではインフレにならないかぎり財政支出は続けられるとする。
実際に日本ではこれだけ国債が増加しているにもかかわらずインフレは起きていないではないか、とMMTの主張者は言う。
はて本当にそうなのだろうか。今、インフレになっていないからといって、今後もインフレにならないことの証明にならない。それにもしインフレになったとして、それが急激なものになったときに抑えることが本当にできるのか。金利を上げたり増税したりするのだろうが、それが理屈では可能でも政治的に可能なのだろうか。もしインフレを抑え込み政府の財政破綻を免れる一方で国民の生活が破綻していたとしたら、そんな政府に何の意味があるのだろう。
「ブラック・スワン」「反脆弱性」の著者であるタレブは、「(有害性の)証拠がないこと」を「(有害性が)ないことの証拠」と勘違いしてしまうことに問題があると述べていたが、MMTはまさにこの勘違いをしているのではないか。
常識は疑ってかかるという姿勢は必要だ。だから常識にとらわれずに新しい理論を構築しようとすることはいい。だが同時に歴史の教訓を踏まえることも重要なはずだ。MMTには、人間は経済を自在にコントロールできるというある種の傲慢さが垣間見える。
このMMTは机上の空論だと思う。でもそんな理論が広まり注目されているという空気に不気味な危うさを感じてしまう。