「定期的収入」というのは人々を強力に引き付ける。だから老後に備えて不動産投資による家賃収入をもくろむ。今となっては廃れてきた毎月分配型投資信託に人々は群がった。株式投資では配当金で生活できるようになることを夢見る。独立や転職をしようとすればそれまでの安定的な収入を失う恐れがあり周囲から猛烈に反対されたりする。
それだけ定期的収入というのは人々を安心させる。逆に言えば、これを失うことを極度に恐れる。
私だってそうだった。だからサラリーマンとして長年働いていた。定期的収入を得て暮らしてきた。だが定期的収入がある一方で、当然ながら嫌なことも我慢しなければならないことがたくさんある。
その嫌なことから逃れるために貯金をし、さらに投資することで資産を築きはじめた。すると資産はそれ自体が増殖していくものだと気づく。投資した株式は含み益がどんどん膨らんでいく。
ここで「定期的収入」というものにこだわりすぎるのもどうなのだろうとふと疑問に思った。定期的な収入がなくても資産の含み益が増えていくのであれば、その資産の一部をその都度取り崩していくことである程度やっていけるのではないか。含み益が一方的に増えていくというのも楽観的過ぎるといわれればそうなのだが、それでも一考に値するだろう。
給与はもちろん、利子や配当金、家賃収入による不動産所得には所得税がかかる。株式の譲渡益にも課税されるが(NISAなどは例外だけど)、含み益は譲渡して実現させない限り課税されない。だから含み益をできるだけ膨らまし、必要な分だけ資産を取り崩す方が税コストが抑えられる。
極端な例で考えてみる。
1年後10%の利息が得られる1千万円の定期預金と、株式1千万円が1年後に10%上昇した場合を比較する。
定期預金の場合は1年後に100万円の利息が得られるが、これに税金かかり、税金が20%だとすると手取りは80万円となる。結果、資産合計は1,080万円となる。
一方、株式は10%上昇し含み益が増えるが税金はまだかからない。結果、資産合計は1,100万円となる。
ここで300万円必要になったとしよう。定期預金の場合は300万円を引き出して780万円となる。一方、株式の場合はどうなるか。手取り300万円を引き出すためには305万円分の株式を売却する。この元本部分は277万円で売却益は28万円。28万円に対して税金20%がかかり約5万円とすると手取りが300万円となる。すると残った株式資産は795万円となり、定期預金のケースに比べ15万円の差となる。これが税コストの差であり、馬鹿にならない金額だ。
このように定期的収入というのは税コストの面からみて不利だともいえる。安心という面からすれば定期的収入は必要だろう。だが資産の含み益を膨らませていけば、定期的収入が減っても極度に恐れる必要はないのではないか。
だから定期的収入があるうちにできるだけ資産を築くというのは大切なのだ。もちろん株式のような資産は価格が変動するから含み益どころか含み損になることもありえる。そのリスクをどうするかというのもあるけど、資産の含み益が存在すれば定期的収入を失う恐怖心を和らげることができると思う。