「時は金なり」という言葉がある。元々はベンジャミン・フランクリンの”Time is money”を翻訳したものらしい。
その意味は、「時間はお金と同じく貴重なものだから、浪費することなく有意義に使うことが大切である」とされる。
だが、フランクリンの意図はやや異なるらしい。
彼のこの言葉には「機会損失」のニュアンスが含まれているという。
例えば、ある一日を遊んで過ごした場合と労働をした場合を考える。遊んだ場合は娯楽に5,000円使った一方、労働していたら1万円稼げたとする。このとき、娯楽で過ごしたら5,000円を失っただけでなく収入になるはずだった1万円も逃し、合計で1万5,000円を失ったと考えるのが機会損失だ。
娯楽で過ごすことも有意義な時間の使い方であるはずだが、経済的には収入を得る機会を失っているということも確かだ。でも、収入を得るために娯楽の時間を削るというのもおかしいのではないか。
労働というのは突き詰めれば時間を切り売りしていることだ。人生の時間はおおよそ決まっていて、そのなかから労働の時間を切り売りしてお金に換えている。収入を増やすには労働の時間を増やせばいいが、そうすると自分の自由な時間がどんどん減っていくというジレンマに陥る。
ここで、娯楽で過ごしていても機会損失を生まない、あるいは少なくするにはどうすればいいか。
娯楽で遊んでいる間にも稼げればいい。
そうするにはどうするか。
投資をすればいい。
株式を保有すれば配当収入がある。
投資不動産を所有すれば家賃収入がある。
つまりは時間を切り売りしなくても収入を得られる手段をもつということだ。
時間の切り売りをし続けていたら時間はいくらあっても足りない。
副業をすることが当たり前になってきたけど、本業のみならず副業でも時間の切り売りをしていたらいったい自分の自由な時間をどう確保するのだろう。収入がいくら増えても自由な時間がないのでは本末転倒でしかない。
そこに気づけるかどうかは意外と大事なことではないかと思っている。
時間を切り売りしているという意識を持てば、少なくとも時間の使い方が変わってくるはずだ。