このブログで以前、「遊び」について荘子の言葉を書いた。
荘子によれば、「遊び」とは人間の心と世界を結びつけて何物にも囚われない主体的で自由な心の在り方をいう。
遊びというと仕事や労働の反対語にように扱われる。実際、遊びの意味には「仕事がないこと。仕事がなくてひまなこと。」が含まれている。
だとすれば、仕事や労働というのは何かに従属的で不自由な心の状態にあるといえる。
そうした状態によって目的を持たされ、生産的・効率的になる。そしてそれは生きていくために必要とされることだ。
そして仕事をまじめにやらないとこう言われる。
「真剣にやれ!遊びじゃねぇんだぞ!」
子供のころはあれほど遊んだのに大人になるにつれて遊ばなくなる。遊ばないどころか遊びそのものを否定しようとすらする。
でもそれがおかしいことに薄々気づいている。
遊びにはそもそも目的がない。しかも非生産的で自由なものだ。
まさに何物にも囚われない主体的で自由な心の状態だ。
タモリは仲間とゴルフをしているときにこう言ったという。
「真剣にやれ!仕事じゃねぇんだぞ!」
この言葉は本当に好きだ。
窮屈な世の中で真剣に遊ぶことができるか。
目的も意味もなく、他人からどう思われようと何の役にも立たないことに没頭できるか。
遊びこそ本当の自由なのかもしれない。