昔から「まじめだね」とよく言われる。だがこの言葉は好きではない。表向きはいい意味を表しているが、その裏には「あなたはつまらない人」というニュアンスを感じるからだ。
自分がつまらない人間であることを自覚しているがゆえに一層この言葉を言われると気が滅入る。かといって不まじめな人間になったらそれはそれでおかしなことになる。
そんなことをふと思っていて、だいぶ昔に読んだ「非まじめのすすめ」という本を思い出した。
「非まじめ」というのは、まじめでもなく不まじめでもなく、それらを超越した概念だ。
不まじめというのは周りに迷惑をかけたりするものだから世の中に受け入れられないものだが、一方のまじめも行き過ぎるとむしろ害になりうる。
効率性・生産性を追求することで無駄を許容することができない「まじめ」
世の中は白黒はっきりさせることができないことが大多数なのにグレーというあいまいさを認めない「まじめ」
失敗を嫌い、失敗を許さない「まじめ」
常識にとらわれる「まじめ」
「まじめ」「不まじめ」と対立させている時点で「非まじめ」的な発想からは程遠い。
仕事を遊びのように楽しみ、遊びは仕事にように真剣に打ち込む。
「真剣にやれ!仕事じゃねえんだぞ!」と言ったタモリは非まじめ人間だ。
「非まじめ」な人間になれば「つまらない人」ではなくなるのであろう。
そうありたいと思うが、なかなか難しい。