かつて「ファジー(fuzzy)」という言葉が流行った。1990年の流行語大賞にもなっている。
この「ファジー」とは、曖昧なさまやぼんやりしたさまを意味し、境界が曖昧ではっきりしていない様子を表す言葉だ。
ファジーという言葉が流行ったのはまさにベルリンの壁が崩壊し冷戦が終結した直後からだ。そこからこの曖昧でぼんやりしていて境界がはっきりしないファジーな世の中が広がっていった。だが、ここ数年で急速にそのファジーさが受け入れられなくなっているような気がしている。
ロシアのウクライナ侵攻は、東西冷戦がなくなった後の曖昧な世の中でいつのまにかEUやNATOが拡大したことにより、ロシアがその脅威に気づき反発したことが背景にある。
イスラエルとパレスチナのハマスが衝突したのも、歴史上複雑に絡み合いながらもなんとか大規模な衝突は避けられてきたファジーさが受け入れられなくなってきたからではないか。
アメリカではトランプ前大統領の登場が象徴的であり、多数の人種からなるファジーな民衆が分断され対立がくっきり表面化した。ヨーロッパ諸国では難民の受け入れを制限する傾向になってきており、こちらも民衆の間で対立がくっきりしはじめた。
そして日本ではどうか。最近、岸田政権が打ち出した減税政策に国民は半ば呆れている。岸田首相にははっきりした政治理念とか信念があまり感じられず、まさにファジーな存在の象徴だ。そのファジーさがついに受け入れられなくなりつつあるのではないか。同じように立憲民主党も政権批判ばかりで、いったい日本をどうしたいのか具体策がまったくはっきりしないファジーな政党とみなされているからか支持率は低迷したままだ。
このままファジーな世の中がどんどんクリアーになっていくのだろう。
ファジーなものがクリアーになることで様々な摩擦が生じ、混乱も多くなる。
だが悪い面ばかりではない。それだけチャンスも多くなる。
裏を返せば、これから没落するか、興隆するかの分かれ目になるともいえる。
そういう意味でも今後の投資は重要性が増すことになるだろう。