年収がある一定水準に到達すると幸福度は頭打ちになるという定説がある。だが、最近これを覆す研究が発表されたという。
これまでの定説はノーベル経済学賞を受賞した二人の経済学者による研究で、年収で約1,000万円を超えると幸福度が頭打ちになるというものだった。
だが新たな説によると、幸福度が低いグループの人々では年収と幸福度の関係がある一定で頭打ちになる一方、幸福度が高いグループの人々では年収が増加すると幸福度の上昇傾向がさらに強まるという。
こうした研究結果に興味をそそられるのは確かだが、根本的に無理があるように思えてならない。
そもそも幸福度とは何なのか。
どうやって測定するのか。
そもそも幸福度を測定することができるのか。
なぜ年収という基準なのか。保有する資産は関係ないのか。
測定できるということは比較できるということでもあるが、そもそも幸福度を他人と比較することに意味があるのだろうか。自分ではそこそ幸せに感じていても他人の幸福と比較して劣っていたら不幸なのか。
本質的に測定できないものを測定できると仮定して構築した理論は、単なる言葉遊びか、ごく限られた範囲でしか成立しない非現実的なものなのではないのか。
どうして他人との比較をしたがるのだろう。
自分が他人よりマシだということを確認して安心したいのだろうか。
学歴が偏差値というモノサシで序列化されるように、そのうち幸福度も偏差値化されるのだろうか。そもそもそんな時点で幸福からは程遠いような気がする。
他人と比較して優位に立ちたい欲求が強い人ほど幸福から遠ざかるのではないか。
欲求にはキリがなく、いつまでも満たされない。
幸福度はお金のあるなしではなく、欲望の上限を自覚しているかどうかではないだろうか。
自分の欲望が満たされる水準をわかっている人ほど幸福といえるのだと思う。