コロナ感染してホテル療養していたが、土曜日に自宅へ帰ることができた。コロナの症状よりも療養中に体を動かさなかったことによる筋力の衰えが気になる。それでもホテルから解放されて外に出た時の解放感は格別だった。
家に帰って妻の手料理を食べ、子供の笑顔を見る。
マスターカードがキャッチコピーで「Priceless」を掲げ、「お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで」と謳っていたが、手料理や子供の笑顔はまさに「Priceless」だ。
「Priceless」は、「値段がつけられないほど貴重な」という意味だ。世の中ではあらゆるものに値段がつけられているが、値段のつけられない価値というものもたしかに存在している。
私は投資を始めてから価格と価値の違いについてずっと考えている。豊かさや幸福というのは価格ではなく価値を追求する先にあるのではないか。
価格と価値という2つの軸を考えると、以下の4つに分類できる。
価格があり、価値もあるもの
価格があり、価値がないもの
価格がなく、価値があるもの
価格がなく、価値もないもの
価値というのは主観的であり、価格というのは客観的なものだ。価格というのは他人の価値感あるいは世間一般の価値観みたいなもので、自分自身の価値体系と一致しているとは限らない。世間では全く価値がないようなものでも、自分にとってはかけがえのない価値を有するものだったりする。
重要なのは自分にとって価値があるかどうかであり、それに価格がつくかどうかはあまり関係がない。自分にとって価値はないけれど、価格があるものにお金を費やしていたら、それは全くの無駄遣いということだ。逆に、価格はないけれど、自分にとっては価値があることは大切にする。
問題は、価格があり、なおかつ自分にとって価値があるものだ。ここでは価格と価値との比較が必要となる。価格以上の価値があるのなら手に入れるべきだし、価格ほどの価値がないのであれば必要ないかもしれない。ただ、これも自分の経済力に制約されることになる。価値があって手に入れたいと思ってもあまりにも価格が高ければ手に入れることができない。この制約が大きすぎれば幸福度にも影響することになる。
だから自分がどういう価値感を持っているかが豊かさや幸福感に影響する。高価なものにばかり価値を見出すようであればお金がいくらあっても足りないだろうし、ささやかな日常に喜びを見出すような価値観であれば、さほどお金を必要としないかもしれない。
さらにいえば、お金で買えない価値をみつけられる、あるいは気付くことができることだけでもかなり幸せといえるのかもしれない。