投資狂日記

自由を追求するブログ

役に立つ人である必要はあるのか

今日の株式市場は大幅上昇。昨日買った信越化学とゴールドウインは売却し利益確定した。年初としては幸先いいスタートだ。

米国イランの対立とゴーン元会長の逃亡という2つの大きなニュースに関心が向かっている中、相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件について被告の裁判が行われたことも大きく取り上げられた。

 

この事件の被告は「役に立たない人間は排除すべき」という考えを持っているという。これは裏返せば自分が誰の役にも立っていないことを恐れているようにも思える。

 

そんなに「役に立つ」か否かということは重要なことなのだろうか?

 

「役に立たない人間」とはなんなのか。

そもそも「役に立つ」とはどういうことなのか。

なにが役立って、なにが役立たないのか。

例えば、仕事で目覚ましい成果を上げる人でも部下をパワハラで追い詰めるような人は、役に立つ人といえるのか。

 

私はいま生産的な仕事をしているわけではないので、役に立たない人間なのかもしれない。それでも家庭においては父親としての役割があるので、全く役に立っていないわけでもない(と思う)。

 

役に立つか立たないかなんて相手によっても異なるし、「役立つ人間」も次の日には「役に立たない人間」になっているかもしれない。「役に立たない人間は排除すべき」と主張する人間は自分が役立つ人間だと思っているのだろうが、そうした人間が「役に立たない人間」になったらどうするのだろう?

 

ある人によっては役立ってもある人には全く役に立たないことなんて当たり前にあることだ。

役に立つかどうかなんて実はたいしたことじゃない。

役に立とうとすることは大切かもしれないけど、役に立たないからといって全てが否定される必要もない。

誰にでも役に立つかどうか関係なくそばにいてほしいと思う人がいるだろうし、誰かにとって自分もそういう存在でありたいと思う。