このブログでも何度か言及しているが、私はかつて公認会計士を目指していた。その当時、公認会計士の知名度は高いとはいえず、そもそも会計そのものがマイナーな存在だった。今でもそうなのかもしれないが、公認会計士の独占業務として財務諸表監査という仕事があることすらあまり知られていない。
その後、会計がビジネスマンにとって重要なスキルだと世間から次第に認識されるようになり、会計大学院なども設立されるようになった。
また、企業の会計不正に対しても厳しい目が向けられるようになり、会計監査をする監査法人の会計士の責任が重くなっている。
責任が重くなるにつれて監査報酬もアップするのが筋なのだが、実際の監査報酬は上昇していないという。報酬が増えない一方で、業務量は増大して相当な激務になっているらしい。しかも会計ルールがしばしば改定され、それに対応する勉強もしなければならない。
激務に見合った報酬が見込めないとなれば監査業務から離れたくなるのは当然で、実際に若手の会計士は監査法人を次々に去っていくらしい。企業に煙たがれる監査よりも、ベンチャー企業の財務やIPOのコンサルティングなどの仕事をしたほうがはるかに面白そうと感じるのも無理はない。
監査の現場から会計士が去っていく状況がもたらすことは、監査の質の低下だ。監査の質が低下すれば、財務諸表の信頼性も低下することになる。これは投資家にとっても深刻な問題で、情報の信頼性が低ければ投資判断が狂いかねない。それで投資家が敬遠するようになれば企業側も投資を呼び込めなくなるわけで、株価の低迷につながる。
企業は財務諸表の信頼性に対する保証料として監査報酬を支払う。だが、企業側はできるだけ削りたい単なるコストととしか考えていない。監査のコスト削減のために大手の監査法人から中小の監査法人へ変更するという事例もある。財務諸表の信頼性が低下したら企業自身の信頼性にも影響するという意識がまだまだ低いということなのだろう。
投資家からすれば、監査報酬をケチるような企業は信頼性に欠けると思ったほうがいいかもしれない。少なくとも会計の不正が起きてもおかしくないと考えておいたほうがいい。
そんな企業が株式市場にたくさん存在していたら、いずれその株式市場自体が敬遠されるようになるだろう。日本の株式市場がそうならないことを祈りたい。